免許 使わなくとも役にはたつ
当たり前と思っていると気付けません。
1免許 たとえば車の免許
2免許 役にたつとかどうかより
3免許 もっとコスパ
免許 たとえば車の免許
資格というと範囲は広くなりますが、行動を制約する免許はどんなものでも希少性や価値の存在を感じさせます。
免許と日常でとりあげると自動車の第一種普通自動車免許を指すことが一般的です。
さらに自動車免許は「マニュアル」か「オートマ車限定」かでも分類されます。
私は20年程前に車の免許を「マニュアル」で取得しました。
免許取得以降、数台の車を乗り継いでいますが、すべてオートマ車です。
マニュアル車は実家の軽トラ以外ほとんど運転していません。
マニュアル車をほとんど運転していないので、「ダブルクラッチ」や「ヒール&トゥ」といったテクニックとも結局無縁のままです。
(私の運転レベルで使えるスキルとも思えませんが)
免許 役にたつとかどうかより
車の免許をマニュアルで取得したのは、オートマ車限定で不自由しないための判断でした。
それなりに役にはたっていますが、厄介なクラッチ操作を覚える労力を振り返ると、これから免許を取得する方には強くは薦めません。
とはいえ、活躍のとぼしいマニュアル車の免許ですが、マニュアル車の運転以外で役にたっています。
たとえば、他のドライバーに無理な運転を強いさせないように考えることもその一つです。
具体的には、上り坂で前の車(トラックなど)との車間距離を詰めすぎないようにすることがあげられます。
私自身がマニュアル車での坂道発進が下手くそだったので、他の方に無用の負担をかけさせることは避けています。
坂道発進の際の車間距離は、オートマ車限定で免許を取得していると配慮が行き届かないかもしれません。
免許が直接役にたつかどうかというより、免許をもつ過程での試行錯誤が後々の想像力を広げてくれたと言えます。
免許 もっとコスパ
免許や資格の取得とまったく無縁の方はいないでしょう。
その一方で、取得しても無意味・食えないといった批判もあります。
免許や資格の即効性のあるわかりやすい成果を期待すればするほどそうした批判も強くなるようです。
言い換えると、免許や資格の評価尺度がコスパと考えられているからでしょう。
コスパという評価尺度はわかりやすい面もありますが、言葉の不足も感じます。
パフォーマンス(成果)が誰の・どういった基準で測られるかということをはっきりさせておく必要があります。
免許や資格の取得が無意味や食えないという批判が無気力で冷笑的なのは、免許や資格による成果をどういった視点や程度で把握しているかといった実態を知らないことを表してもいます。
免許や資格はきっかけつくる手段です。
成果をより多くの言葉で表現すること、つまり免許や資格の取得した後のいろいろな成果が示すことが冷笑への対抗策です。
蛇足
批判を受け入れるといっても建設的・前向きなものだけです。
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