いつのまにかの正体

勘働きをみがくために。

いつのまにか 無関心・無印象

空き地や空き店舗の看板をみると、そういえば何があったかなと思うことがよくあります。

よく通っていた店や、何かしらのエピソードでもあると記憶がよみがえります。
あるいは、職業柄関心をもっていた店や場所も思い出しやすいものです。

見方を変えれば、無関心や印象に乏しい対象は、店や場所といった大きな視覚で認識できるものでも思い出せません。

思い出せないことでストレスを感じるのは、思い出そうとする自分の興味や関心が変化しているからともいえます。

いつのまにか 確かめようもないのは、自分

場所やモノに関連した記憶を思い出せないときには、誰かに尋ねることやウェブで検索することで解決もできます。

その一方で、厄介なのは自分に関連した変化です。

進学や就職、転職、結婚などの人生の転機となる変化を「いつのまにか」と感じる方はいません(笑)。

そうした一大転機ではない、日々の生活のなかでは些末と考えている判断は、印象も薄く記憶に残りません。

先に「いつのまにか」は無関心や印象の乏しさから生じると述べました。

ことばを補えば、日常生活の判断のほとんどは記憶に残るほどのインパクトがありません。

たとえば、朝食を食べ終える時間、いつも行くスーパーでいつも買っているはずの商品。
昨日・今日という短期間での変化には、気にも留めません。
しかし、10年単位でそうした自分の日常生活を振り返れば、変化はみられるはずです。

ただし、そうした変化は、自分のことでさえ「いつのまにか」成り立っていたことになります。

印象に残らない日々の活動が由来の「いつのまにか」は、自分でさえも確かめようもないことになります。

いつのまにか そんな先のことはわからないなので記録

「いつのまにか」の大半は、どうでもいいことだったりします。
歯磨きをするときに、左奥歯から磨こうが、前歯から磨こうが問題ありません(たぶん)。

それとは別に、時間の管理や金銭感覚といった、個人的で抽象的なことは人生を左右しているかもしれません。

判断や行動が日々の生活で埋没して、「いつのまにか」で成り立っている個性や癖も、判断や行動につながっていきます。

そんな先のことはわからない、というハードボイルドな台詞は誰もがかっこよくきめられるものではありません(笑)。

日記、ブログ、家計簿、体重や血圧といった日々の変化の記録は、一つ一つは些少です。

ただし、漫然と「いつのまにか」に流されないようにする抵抗にはなります。

 

蛇足
そんな昔のことは覚えちゃいない、もかっこよくきめられる台詞ではありません。

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