郷土の裏偉人伝 南嘉一

変化球です。

1郷土の偉人 オモテ・クロ・ウラ
2郷土の偉人 南喜一
3郷土の偉人 記憶より記録になりがち

郷土の偉人 オモテ・クロ・ウラ

一般に郷土の偉人というと、明治時代以降に活躍した著名人を指すことが多いようです。

石川県ですと明治時代以降の郷土の偉人として以下の方々が地元で取り上げられます。
・泉鏡花(作家)
・徳田秋声(作家)
・室生犀星(作家)
・西田幾多郎(哲学者)
・鈴木大拙(仏教)

功成り名遂げるという意味でも、偉人というと万人からの称賛を期待できる方が多い印象です。

とはいえ、禍々しくとも記憶に残るタイプの方もいて、こちらはクロ偉人伝かもしれません。
石川県では、辻正信(軍人・政治家)が対象でしょう。

さらにオモテでもクロでもないウラの存在ともいえる偉人もありえます。
クロではないが、オモテの称賛にとどまらない存在感を放っていた人物とも言えます。
石川県では南喜一(みなみかいち)が該当します。

郷土の偉人 南喜一(1893年明治26年-1970年昭和45年)

南喜一は現在の金沢市有松出身です。
実業家と紹介される人物ですが、経歴は以下の通りにぎやかなものでした。

まず職業です。
新聞社勤務→税務署採用→造船所勤務→早稲田大学進学・人力車夫・演歌稼業→グリセリン工場経営→労働運動→入獄→私娼解放運動→製紙会社経営→ヤクルト会長→日本クロレラ会長

ヤクルト会長時代に買収した球団が、現在のスワローズです。

職業以外の活動も特異です。

グリセリン工場経営時代に亀戸事件で実弟が官憲に殺害され、以後労働運動に傾注。

社会運動家と実業家の両面を体現しつつ、養神館の設立にも協力。
(養神館はマンガ「バキ」の登場人物渋川剛気のモデルとなった合気道家・塩田剛三の道場)

愛人は4人もてが持論。
(本妻以外にである)

あだ名はガマ将軍。

死後に追悼の文集が2冊刊行されたが、そのうちの一冊は南と関わった方の寄稿で構成されおり、寄稿者には以下の人物もいた。
・佐藤賢了(A級戦犯、石川県出身でもある)
・塩田剛三

郷土の偉人 記憶より記録になりがち

郷土の偉人は称賛を前提にしたオモテの存在が基本です。

事績を称賛するわけですから、正確な記録に基づいて偉人としての情報が伝えられます。

ただし、記録を明瞭に伝えようとするあまり既存や常識でとらえにくい情報や記憶は忘れがちになることもあります。

南喜一は極端な例ですが、常識的な枠からはみ出していた存在でした。

情報社会といっても、受け手にとってのわかりやすさをフィルターにした情報だけでは蓄積は期待できません。

オモテ・クロ・ウラの郷土の偉人を知ることは、情報の厚みを感じるという点でのきっかけになります。

 

蛇足
南喜一については以下を参照しました。
「追想 南喜一(南喜一追想刊行会、昭和46年)」
「蟇将軍 南喜一(岡本功司、南喜一追想刊行会、昭和46年)」
2冊とも金沢市泉野図書館・郷土資料コーナーにあります。貸出不可です。

 

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