変化に気付くためにすること 数える

見える!、という感覚が欲しいところです。

何匹(何個?)いるでしょうか?

1変化 記憶との照合
2変化 気付けない理由
3変化 変化の対象と自分

変化 記憶との照合

学生時代から現在にいたるまでの20年間に、自分のよく行っていたお店が変化していることに気付きました。

学生時代(2000年前後)は、中古本店やネットカフェによく行っていました。
漫画の立ち読みで時間を潰したり、ケチったりしていました。
ウェブのアクセスも学生にはなかなかお金がかかったので、時々ネットカフェを利用していました。

驚いたのは、当時通っていたお店の大半が既に閉店していることでした。
漫画本を買う人が減り、ウェブのアクセス環境が変化した結果でしょう。

「当時通っていたお店の大半」は中古本店で7店以上、ネットカフェで6店以上です。
はっきりした店舗数を示せないのは、私の記憶が曖昧だからです。

ただし曖昧ではあっても、ほぼ・概算といった数は示せます。

同じ時期に閉店したブティックをあげろと言われてみても、一店舗も思い出せません。

変化 気付けない理由

中古本店・ネットカフェの盛衰は記憶にあるのに、ブティックの記憶が皆無なのは私の関心の偏りが原因です。

自分の関心の無い対象は記憶できませんし、当然変化にも気付けません。
まず関心があるかということが、変化への気付きに欠かせません。

次に、変化には気付いたが曖昧な印象でモヤモヤするのは、数を数えていないことが原因です。
ぼ~っと生きていては五歳児にだってられます。
関心があることはなんらかの基準(お店だったら店舗数)で数を数えた方が良さそうです。
数が数えられない対象なら、自分と対象とのエピソードでとりあえず記憶しておくしかありません。

今の自分と過去の自分で比較できる記憶が、気付きには不可欠です。

変化 変化の対象と自分

変化に気付くことにこだわるのは、自分の変化に客観的に気付くことが難しいからです。

日々なんとなく、なんとかやっていると、他人から見たらひどい状況でも気付かない可能性があります。

とくに気付きたくないことや先送りしたいこと(お金・健康・人間関係)では、やり過ごして後悔しそうなこともあります。

自分自身を見つめるのは難しい上に、自己嫌悪に陥りそうです。

自分自身の変化に気付くためにも、自分が関わっていることを数える・数値化してみるのは遠回りですが少しは気楽です。

 

蛇足
2019年(H31・R1年)現在、住んでいる所から徒歩30分以内で6店のフィットネスジムがあります。
20年でどう変化するか?

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■林友範税理士事務所

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